音楽療法士になったきっかけ②
こんにちは。 金 愛利です。
続きを書くのに間があいてしまいました(;^_^A (風邪でダウンです)
語学学校に通って6か月ぐらいだったでしょうか?英語も上達しないし、お金を無駄にしている感じがしていたので、とっとと大阪に引き上げようと思っていたところニューヨーク大学(NYU)で音楽療法センターがあるという情報を得て、ぜーーーーんぜん英語も流暢に話せないのに、見学の予約を取って訪問しました。
心臓バクバク言わせながら、質問等を頭の中でシュミレーションさせて訪問したら、今は亡き創造的音楽療法の創始者であるクライブがとても歓迎して迎えてくれました。私が日本から来たというと日本語に翻訳された音楽療法の本をプレゼントしてくれ、そしてテレビに放送されたビデオを見せてくれたのです。
自閉症で視覚障碍児が身体を前後に揺らす動きに合わせて、セラピストがピアノで音楽をつけていきます。自分の中で心地の良かった身体の動きが、ふと気が付くと音楽に合わせている。その気付いた絶好のタイミングで子どもが声を出し始めるとセラピストも歌を即興でつけていきます。
私は、このビデオを見たときに衝撃を受けました。
私の音大時代は、正直苦痛でした。練習、練習、自分の実力が伴わないから仕方がないのですが、練習・・・・・。レッスンまでに間に合わないよ~(泣)と焦りながら練習するストレス。そう、私は落ちこぼれだったんです。発表会は本当に嫌いで、人前で弾く時の極度の緊張になぜ皆は好きなの??やめよーよなんて心の中でつぶやく始末。
そんな私にとって苦痛の音楽が、社会に貢献できる道具として使えるのか!しかも、音楽が自由であること。ミスが許されない音大時代で萎縮してしまった私は、ミスだと思った音楽が子どもにとってはヒットする音かもしれないとクライブが教えてくれた時は目からうろこだったことは言うまでもありません。
音楽は無限なもので、内から表現される音は何ものも美しい音なんだ!そんな勉強がアメリカでできるなら、受験してみるだけの価値はあるんじゃないの?がんばれ!私!
英語全くできない私が、2か月後に受験申込締め切りというのにTOEFL 550点を取らないといけないいばらの道を歩むのでした。
目標があるというのは素晴らしいことで、どう考えても無謀な計画をすごい集中力と執念と友達からの多大なる協力によって乗り越え、私は音楽療法を勉強する機会を得ました。
院では、心理の勉強をすればするほど自分の闇と向き合い、異国の地で一人で耐える辛さに涙すること数えきれず・・・・。音楽療法のことを勉強すればするほど、奥が深い音楽に魅了され、人生で一番勉強し、たくさん経験させてもらいました。
これが私が音楽療法士になったきっかけです。
長い文章最後まで読んでいただきありがとうございました☺